網の目が互いにつながりあって網を作っているように、すべてのものはつながりあって出来ている。
一つの網の目が、それだけで網の目であると考えるならば、大きな誤りである。・・・・・勝鬘経(しょうまんぎょう)
帝釈天はインドの最高神にして、雷神の性格を持つ神・インドラです。
帝釈天は欲界のトウリ天の主で、須弥山山頂の喜見城に住んでいます。
この城には「帝網=たいもう」という網がかかっています。
網のひとつひとつに宝石が結び付けられ、周囲の世界を写し込んで輝いています。
このようにすべての世界が、互いに関連しあっているということを「重々無尽」といいます。
一つのものの中に、すべてのものが関わりあって存在していることを
「一即一切重々無尽=時間と空間はひとつのものの中に畳み込まれている」というのです。

多くの人々のために、幸福と楽しみを与えることは、大きな慈(じ)である。
多くの人々のために、苦しみと悲しみをなくすことが、大きな悲(ひ)である。
多くの人々に歓喜の心を持って向かうのが、大きな喜(き)である。
すべてのものに対して平等で、分け隔てをしないのが、大きな捨(しゃ)である。・・・・大般涅槃経

慈悲喜捨(じ・ひ・き・しゃ)=四無量心(し・むりょうしん)
慈をおさめると貪りの心を断ち、悲をおさめると瞋り(いかり)のこころを断ち、
捨は恩と恨みのいずれに対しても、違いを見ないようになる。 ・・・釈迦
この心の中の三つの毒を、貪瞋痴と呼び、三毒(さんどく)とも称します。
あらゆる危険を冒して海の底に降りなければ、値も知れない素晴らしい宝石は得られないように、
迷いの泥海の中に入らなければ、さとりの宝を得ることはできない。
山のように大きな我への執着を持つものであって、初めて道を求める心も起し、
さとりもついに生じるであろう。 ・・・維摩経

もしあなたが今苦悩に直面していたら、これは一つのチャンスです。
そう思えたら、その苦悩は克服されたも同然です。
仏の教えは、相反する二つを離れて、それらが別のものではないという真理を覚るのである。
もしも、相反する二つの中の一つを取って執着すれば、喩えそれが善であっても、正であっても、誤ったものになる。・・・楞伽経
「真理の体現者は、この両極端に近づかないで、中道を覚ったのである。
それは眼を生じ、平安、超人知、正しい覚り、安らぎに向かうものである。」
具体的には、八正道がその道になります。

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