仏説は釈迦の発言ではない!?

仏(ブッダ)って何?



先日83歳になる父に、般若心経の写経セットを持参しました。
すると「般若心経は仏説・摩訶般若波羅蜜多心経というけど、お釈迦様のいった言葉でないから信じない」と発言しました。

私の父は熱心な浄土真宗信者です。
「親鸞が南無阿弥陀仏と唱えれば、いや唱えなくても浄土に往っているというから、
 俺はその言葉を信じるんだ。」と発言しています。
 
一般的に日本の人は仏(ブッダ)と聞くと、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)をイメージします。
仏(ブツ)とはBUDDHAのサンスクリット語の音写語であり、
「目覚めた人」という意味があります。
転じて「目覚めの智慧」という意味もあります。

言葉というものは歴史と共にその意味を変化させてきます。
小乗仏教時代は「仏」は釈迦その人を表していました。

ところが大乗仏教はみんなが覚りを開けると考え始めましたから、
みんなが仏「BUDDHA=目覚めた人」に成れると考え始めたのです。

しかしそうなるためには、幾千回もの良いカルマを積み重ねなければならないと考えていました。
ところが密教の時代になると「この身、このまま、すぐに仏(目覚めた人)に成れる」と考えました。

密教のBUDDHA観


密教での仏(ブッダ)は、形而上学的な表現のシンボル(具象)としてのBUDDHAなのです。

私たちの身体は物質(地水火風空)と精神(意識)で出来ています。
私たちは身体のない精神だけの状態から生まれ、身体という鎧(よろい)を着て生活し、
鎧(よろい)を脱いで帰っていきます。

肉体の中にいる時は、意識としての私がブッダであり、
帰っていくと普遍的集合無意識になった存在がブッダなのです。

密教ではこの精神と物質が分けられないもので、物質の中に精神が溶け込んでいると考えています。

華厳経ではこのブッダをビルシャナ佛と呼び、宇宙意識、宇宙佛としての存在の根源を指しているのです。
東大寺にあるビルシャナ仏は、それ自身が単体で存在するのではなく、
すべての虚空を埋め尽くしている存在なのです。

すべての時間・空間はこの中に存在します。すべての光はこの中に存在するのです。
また密教的表現では一切智(サルバ・ジュニャーナ)とされ
燃え上がる三角形で表現されています。


私たちはパイプ役


ネパールの曼荼羅絵師、ロク・チェトラカール師は、曼荼羅にサインのない理由を

 『描こうと思ってから、描きあがるまで出来るだけ、心を自分の中の神様のところに持っていきます。
  自分の手を使って描いていても、作品は神様が描いたのです。
  だから署名のサインはできないのです。
  私たち画家はパイプ役に過ぎないのです。』

と、こう説明します。


マトリックス・システム


自分が自分であって自分でない。この考え方は一般の方になじめません。
そこで最近はこんな例を考えています。

私たちは神(GOD)という名の巨大ホストコンピューターの端末パソコン(ハード+ソフト)です。
情報(ソフト)とは意識体(魂)のことです。
成長するに従ってソフトを充実させ、体験するに従ってファイルを作りつづけています。

パソコン内のハードディスクが老朽化すると、いったんホストコンピューターに
ファイルを全部返却します。
ファイル処理が終わると、初期化した状態で最新鋭のパソコンにインストールされます。

ところがどの最新鋭機種でも、すべてを初期化できずに残存ファイルが存在してしまいます。
それをカルマと呼びます。
人によっては明確に前回の体験情報が残っている方もいるのです。
そのような人々が、この全体のシステムが観えていてBUDDHAと呼ばれるのです。

BUDDHAはバグとして発生しています。

映画マトリックスでは、ネオをはじめとする主人公達がBUDDHAなのです。
彼らを目覚めさせないようにエージェント・スミスはシステムエンジニアの役目をしていました。

南無(帰依)=REFUGE=ナマハ


浄土真宗の南無・阿弥陀仏(なむあみだぶつ)はサンスクリット語で
ナマハ・アミターバ(アミタユース)=南無・無糧光(無糧寿)という言葉です。

南無は帰依とも訳され、英語ではREFUGEという名詞を当てはめています。
意味は 1/避難・保護 2/避難所・隠れ家・手段・方便 3/安全地帯 だそうです。

TIBBETAN・REFUGEとは亡命してネパールに住んでいるチベット避難民の住まいのことを指します。
光の存在のところに避難する事を指すのです。

ナマハは帰命とも翻訳されています。
これは先ほどの、システムのホストコンピューターを、
命に変えればご理解いただけるでしょうか?

浄土真宗ではこちらの例をとっています。
先祖から先祖へ続く永遠の命の流れ。
江戸時代には家の概念が人々を縛ることにより、モラルが確立していました。

ご先祖様に守られているという意識は、ご先祖様の元に帰るという意識も醸成していました。
そして生まれてくる孫が、死んだおじいちゃん似の子であって欲しいと願っているのです。
浄土真宗では個としての輪廻転生はないと考えています。
しかし、全体としての輪廻転生を命の流れと表現しているのです。

仏説は釈迦の発言ではない


情報には3種類あります。
伝聞情報と、体験情報と、直接情報です。

一般の人は伝聞情報を信じ、その情報に縛られます。
不思議な体験情報があると、人は世間の言っているその伝聞情報を疑うようになります。
そして世間的価値観のシステムから離れた人間には直接情報が流れて(インストールされて)きます。

もちろん仏説は釈迦の言葉ではありません。
釈迦はBUDDHA(目覚めた人)の一人であり、
彼の言葉のみを信じるのは、仏教の歴史の一部しか見ていない態度です。

同じように親鸞の言葉のみにこだわるのは、宗教に捕らわれている狭い心を表現しています。
願わくは、真理を目指して「なぜそう思うか?」考え続けてもらいたいものだと思います。

それこそが自分が仏陀(BUDDHA)になる道なのですから。

次へ
戻る