小乗仏教は欲望を否定する。
大乗仏教はその思想を否定することにより、否定の否定は肯定になる。
しかし智慧の道と慈悲の道の両者が統合されていないと、恐怖(フォボス)が生じる。
左の道(上昇の道)のみであると、右の道(下降の道)の人々(現世に生きる人々)が愚かに見えてしまう。
宗教団体の陥る矛盾はここだ。
自分たちだけが輝いているように見えてしまうのだ。
恐怖心(フォボス)はタナトスとして低位の抑圧となる。
大乗仏教・密教では最初に上昇の道をたどり、金剛サッタは大日如来を求める。
そして「われは大日如来なり。」と気づく。
次に下降の道をたどり「すべてのものは大日如来の現われだと知る。」
チベットでは智慧(上昇の道)は左手で持つ金剛鈴(ガンター・ティルブ)で表わされ、
慈悲と方便は右手で持つ金剛杵(バジュラ・ドルジェ)で表わされる。
交差させることによって、両者の統合を意味する。
真言密教では左手の人差し指を一本立て、慈悲と方便の象徴・金剛杵を表わす。
右手の五本指をここに重ねることにより、五智が統合され悟りを開いたことを表わす、
金剛界の大日如来の印「智拳印」となる。
他者は幻想である。すべては自分の意識の反映である。 |