ラサでの観光を終え今日はカイラスに向けて出発の日です。
それまでのマイクロバスから4WD/トヨタのランドクルーザーに変わりました。
2台のランクルに分乗し、3日後にはラツェで、
テントや食料を積んだネパールのシェルパたちのサポートトラックと合流です。
 ギャンツェまでは一部コンクリート舗装の道を進み、昼過ぎにはホテル着。
午後にはパンコル・チョエデの寺院に向いました。
寺院の手前にあるギャンツェ城は、1903年ヤングハズバンド率いる英領インド軍の機関銃、大砲、ライフル銃に対して、
先込め式の火縄銃や剣、槍などで戦い、3ヶ月の間持ちこたえたというチベット人が胸を張れる歴史の残された城なのです。
ガイドのプンチョもこの歴史を声高に語り、メンバー一同、西欧社会が植民地獲得競争をしていた時代を思い起こしました。
そして今でもチベットは大国支配の歴史が続いているのです。
パンコル・チョエデ寺院の中にあるパンコル・チョルテン(仏塔)は立体曼陀羅。
15世紀前半に作られたチベット最大の仏塔です。
8階建ての仏塔の内部に75の部屋があり、各部屋に仏像が安置され、回りの壁には10万体の尊像が描かれています。
最初のうちは一部屋づつ見て、各尊のマントラを唱えていたのですがあまりの多さに閉口し、
見晴らしの良い場所で般若心経を読誦し、省略させていただきました。
翌日は半日の行程でチベット第2の都市、シガツェ。ここでの観光はタシルンポ寺院。
山を背景にして、阿弥陀如来の化身といわれるパンチェン・ラマ1世の純銀・11mの巨大な霊塔が鎮座し、
大集会堂や四つの学堂、多くの僧坊がそろって荘厳なたたずまいを見せています。
しかしこのような大伽藍も中国の10億円の援助により作られたと聞くと、
チベット最高の人数800人を要するこの寺院の僧たちの姿が哀れに思えてきました。
その日泊まった漢人資本のウツェホテルの前には、最新のしゃれたサンルーム付きアパートメント・ハウスが立ち並び、
漢人のための新興住宅街になっています。
ホテルの前はカラオケ・ハウスで、真夜中まで漢人の歌声が響き、寝つかれませんでした。
シガツェからはカトマンズに向う中尼公路(中国・ネパール道路)を走り始めます。
中間のラツェでネパールからのシェルパ・スタッフ3人と終結です。
ラツェから先はテント生活です。
サポートトラックに積んだ日本食や寝袋と共に、登山経験豊かなシェルパで日本食も作れるコックの料理が食べられるのです。
ところが出発をする前にガイドのプンチョが暗い顔をしてささやきました。
「コバヤシ、ネパールからの道路が地すべりで遮断している。今日はシェルパに会えない。
明日、1日先のサガで落ち合う予定だと、ラサのエージェントに連絡が入った。」
「おい、今日はどこで寝るんだ〜。食堂はあるのかラツェに?」
「ドライブインに泊まろう。ホテルほどでないがロッジはあるから心配ない。」
半信半疑の私でしたが、ガイドを信じて行くしかありません。 |