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この世の中は、自分の心を誰かのコトバで洗脳されている状態だ。
生まれてきてこの方、私たちは人の言葉で価値観を決めてきた。
これは最初のプログラミングだ。 勉強しなければいけないよ!! 大学に行って、一流企業に入るんだ!! 女の幸せは結婚だよ!! この時代の常識(価値観)を、パラダイムまたは思考フレームと呼ぶ。 かけられた思考フレームを外すには、その思考フレームが崩壊するような苦しみに出会い、
別の思考フレームをかけることによってしか外すことができない。
これは戦士にするために入隊した兵士を、殺人のできるロボットとして作り上げる、軍隊の洗脳とも似ている。 だから新興宗教に入信した人々は、その組織の思考フレームにかけられてしまっていることに気付かないのだ。
同じ思考フレームのついた人々同士が共に生活をすると、外の世界の思考フレームに気付かなくなる。
これは健康食品や洗剤のマルチ商法の教育と似ているかもしれない。 現在の製品の悪いところとその時代のパラダイム(価値観)を批判し、
新製品が売れることにより、販売者だけでなく社会まで良くなるようなイメージを抱かせる。
このような思考フレームにかかると、販売することが世界を良くすることになるので、生きがいが出来てくる。
宗教団体で勉強する場合も同じだ。 現在の資本主義的社会の矛盾はいたるところにある。
この批判を信仰が生きていた(と思われる)時代の思考フレームで批判する。
これを閉鎖空間で長時間学ぶ。
すると現在の思考フレームが壊れ、新たな思考フレームが洗脳(プログラミング)される。
このプログラミングされた言葉は「誰かの言ったコトバ」なのだ。
私たちは、学校教育において思考をプログラミングされたことはあっても、哲学、思惟したことはほとんどない。
コトバにおいて自我を構築したことがないと、プログラミングはたやすい。
ヴェーダンタや仏教哲学は、起こってくる思考を否定し、否定し、否定することによってしか、真実は語れないとする。 ヘーゲルの弁証法では、止揚(アウフヘーベン)することにより、
破棄・高める・保存するの三段階の意識の成長が繰り返すとされる。
その高い段階のうちに低い段階の実質が保存されるとする。
つまり、新しくプログラミングされた思考フレームを、これからまた否定(破棄)し始めなければならないのだ。 ところが多くの人々は絶対的な価値に憧れ、苦労して得た思考フレームに固着しがちとなる。 高野山真言宗で伝法灌頂が終わったとき、松永有慶先生は「あとは阿闍梨の意業のままに。」とおっしゃった。
意業とは思いのままにというコトバだ。
その言葉を聞いて私は驚愕した。 え〜今までの勉強は何だったの?
思考フレームの枠を頂いたのに、自由にせよとおっしゃるのだ。
私にはこれが思考フレームの枠に縛られるなという、教えに思えたのだ。
ある宗教団体に入ろうとしている若い女性と、気功教室に出かけていったことがある。 気功の授業が終わり、夜の9時からその場で飲み会となった。
女性は無料、男性500円のツマミの少ない飲み会だった。
彼女は10:30になっても席を立とうとしないので私は先に帰宅した。
翌日の午後、がらがら声の彼女から電話がかかってきて、 「小林さん、私もう気功には行かない。
外の宗教に行くと悪いことが起こると言われていたけど気功も宗教だった〜。」
「え〜、どうしたの?」 「もう、むかついて、気持ち悪くて・・・。」 「それって、飲みすぎだよ。夕食を食べないで、飲んだら誰でも二日酔いになるよ!!」 「そんなことないわ、私は強い方だから、いままで二日酔いなんてしたことないわ!!」
「これは教えを守らなかった罰なの!!」
教えの中には、このようなアンカーがかけられていることが多い。
起きる出来事をどう理解するかで、見方は反転する。
このあと彼女がその新興宗教に向かったのかどうかを、私は知らない。 |