冥想会での出来事 (’11年7月26日)


東京新聞の記事



「戒名でなく実名で葬儀したい。」



今朝の東京新聞に「冠婚葬祭セラピー」と題してこのような文章が寄稿されていました。



ライターさんのお答えは・・・・
【また戒名のご相談ですね。これだけ戒名について迷う人がいると、


 「もう戒名という制度と世の中がずれている」としか言いようがありません。】



ご相談のケースは、「私はオタクの宗教には帰依しませんが、埋葬してください。」というようなものです。



葬式仏教と揶揄されている今日ですから、あくまでもお経を読んで送り出して欲しいなら、


理解してくれる僧侶を捜すしかありません。


無宗教の葬儀でいいのならば、斎場に連絡すればいくらでも相談にのってくれます。



形式的な「葬式仏教」が長年続いてしまったために、人々の心の中から仏教の教えが消えてしまったのです。



仏教の教え=法名(戒名)
名前によって縛られているわたしたち


私は「法名(戒名)で生きる」という考え方を推進している人間です。



名前はこの世の価値観(社会性=煩悩)に縛り付ける力を持っています。



宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」で、湯ばあばに出会った千尋は、
「おや、ぜいたくな名前だね〜」といわれます。


そして「尋ねる=智慧の始まり」の名前を奪われて、「お前は千だ!」と呼ばれるようになるのです。



刑務所でも、ナンバー(数)で呼ばれ、名前は呼ばれないそうです。


千尋を助ける男の子はハクと呼ばれます。


白寿(99歳)の白は、百引く一の、九十九のことです。


そして、まことの名を取り戻すことにより、湯ばあばの魔法が解け、龍の体からうろこがぱらぱらと離れていくのです。




密教では「私たちはこの世の魔法にかけれている。」と考えています。



それは「生きることが良くて、死ぬことが悪いという考え方です。」



でも仏教的真実は、死はこの世でのお役目を終えて向かう栄光の場であり、


輝く光の世界(浄土)に参入することなのです。



あなたの心が現世の価値観(煩悩)にプログラムされていると、死が受け入れられなくなるのです。



「いつか来る、道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」



歌人・在原業平はこのような歌を残しています。



昨夜の冥想会での出来事



葬儀の際の「死に装束」でも、仏教の教えの深い意味がわかります。



昨日の冥想会で、雀雲さんをカメラに納めると・・・後に何か写っていました?



白い三角形の布を頭につけた、白装束の男の姿です。


「・・・ギャァァ〜・・・!!(笑!!)」







・・・白装束とは何を意味するのでしょう。



花嫁衣裳と同じですね。


この世の価値観で黒く色の付いてしまった心が、純白に戻ったのです。



秩父巡礼のときも、得度のときも、白装束で歩きます。



巡礼とは・・・違う世界への移行を望み、人生をやり直そうとするときに最適な修行方法です。


「死を思え=メメントモリ」こそが、生を輝かす唯一の方法なのですから。






「願わくは 花の下にて 春死なん この如月の 望月の頃=西行・桜」




ちなみに、額の三角形は「天冠:てんかん」と呼びます。


死を迎えると、この位置にある第三の眼が開らき、あの世とこの世が見えてしまうようになるのです。



この三角形のことを「一切智=サルバ・ジュニャ〜ナ」と呼び、胎蔵界曼荼羅の上部描かれています。



修験道での額に付ける黒いトキンは、覚りを得て・・開いた第三の眼に蓋をして、


人々を救うためにこの世に降りてくるときに使います。



額に眼があると、宇宙人(異次元からの旅人)であると、ばれてしまいますからね・・・。



宇宙人である、あなたの・・まことの名前は・・何というのでしょう?




       


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