「戒名でなく実名で葬儀したい。」
今朝の東京新聞に「冠婚葬祭セラピー」と題してこのような文章が寄稿されていました。
ライターさんのお答えは・・・・
【また戒名のご相談ですね。これだけ戒名について迷う人がいると、
「もう戒名という制度と世の中がずれている」としか言いようがありません。】
ご相談のケースは、「私はオタクの宗教には帰依しませんが、埋葬してください。」というようなものです。
葬式仏教と揶揄されている今日ですから、あくまでもお経を読んで送り出して欲しいなら、
理解してくれる僧侶を捜すしかありません。
無宗教の葬儀でいいのならば、斎場に連絡すればいくらでも相談にのってくれます。
形式的な「葬式仏教」が長年続いてしまったために、人々の心の中から仏教の教えが消えてしまったのです。
仏教の教え=法名(戒名)
名前によって縛られているわたしたち
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私は「法名(戒名)で生きる」という考え方を推進している人間です。
名前はこの世の価値観(社会性=煩悩)に縛り付ける力を持っています。
宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」で、湯ばあばに出会った千尋は、
「おや、ぜいたくな名前だね〜」といわれます。
そして「尋ねる=智慧の始まり」の名前を奪われて、「お前は千だ!」と呼ばれるようになるのです。
刑務所でも、ナンバー(数)で呼ばれ、名前は呼ばれないそうです。
千尋を助ける男の子はハクと呼ばれます。
白寿(99歳)の白は、百引く一の、九十九のことです。
そして、まことの名を取り戻すことにより、湯ばあばの魔法が解け、龍の体からうろこがぱらぱらと離れていくのです。
密教では「私たちはこの世の魔法にかけれている。」と考えています。
それは「生きることが良くて、死ぬことが悪いという考え方です。」
でも仏教的真実は、死はこの世でのお役目を終えて向かう栄光の場であり、
輝く光の世界(浄土)に参入することなのです。
あなたの心が現世の価値観(煩悩)にプログラムされていると、死が受け入れられなくなるのです。
「いつか来る、道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」
歌人・在原業平はこのような歌を残しています。
葬儀の際の「死に装束」でも、仏教の教えの深い意味がわかります。
昨日の冥想会で、雀雲さんをカメラに納めると・・・後に何か写っていました?
白い三角形の布を頭につけた、白装束の男の姿です。
「・・・ギャァァ〜・・・!!(笑!!)」

・・・白装束とは何を意味するのでしょう。
花嫁衣裳と同じですね。
この世の価値観で黒く色の付いてしまった心が、純白に戻ったのです。
秩父巡礼のときも、得度のときも、白装束で歩きます。
巡礼とは・・・違う世界への移行を望み、人生をやり直そうとするときに最適な修行方法です。
「死を思え=メメントモリ」こそが、生を輝かす唯一の方法なのですから。

「願わくは 花の下にて 春死なん この如月の 望月の頃=西行・桜」
ちなみに、額の三角形は「天冠:てんかん」と呼びます。
死を迎えると、この位置にある第三の眼が開らき、あの世とこの世が見えてしまうようになるのです。
この三角形のことを「一切智=サルバ・ジュニャ〜ナ」と呼び、胎蔵界曼荼羅の上部描かれています。
修験道での額に付ける黒いトキンは、覚りを得て・・開いた第三の眼に蓋をして、
人々を救うためにこの世に降りてくるときに使います。
額に眼があると、宇宙人(異次元からの旅人)であると、ばれてしまいますからね・・・。
宇宙人である、あなたの・・まことの名前は・・何というのでしょう?
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