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1981年6月24日午後6時ボスニアヘルツェゴビナの小さな村、メジュゴリエで事件は起こった。 翌日再びその場所を訪れた子供たちは、光がまぶしく閃いたあとで、雲の上に立つ聖母マリアを頭上に発見した。 マリアも共に祈った。 「また会えるのですか?」という子供たちの質問にうなずきながら、 このような御出現は今日も止まっていません。 ・・・・メジュゴリエに関するすべての出来事は、人々の霊魂を神の元へ連れ戻し、 |
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プロテスタントの私がメジュゴリエへ来たのは、何が起こっているかを知りたいという興味半分だった。 翌日教会に行っていると、人々がクロアチア語で叫び出し、山の十字架の方を見ていた。 「影響されるままに身を任せてはいけない。」 三日目に私たちはピクニックをしていた。 マイケルが小さい人指し指を向けた方を見ると、 「これは幻覚だ。」 速度は大変早かったので、消えることもあった。 「信じられない。十字架が回転しているぞ。」 しばらくして、ナイフを腹に突き立て自殺未遂をしたピーターが大声で叫んだ。 このようなことがあったので、私は夕方、聖堂での御出現に参加することを決めた。 前列の人々は幻視者の人の肩に手を置いた。 生涯で初めて私は聖母に祈った。 私は幻視者の目が釘付けになっている場所を見つめた。一つの光が現れた。 その瞬間から光線は私の胸に触れた。 私の全存在はやさしさ、甘美さ、そして愛の洪水の中で溶解した。
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パトリックのことならメジュゴリエの誰でも知っている。 私は56歳。3回結婚し、2回離婚した。 30年間カナダで車関係の仕事をしている時の神は、お金だった。 長男に「父さん神様って何なの?」と尋ねられた時、彼に20ドル紙幣を与えてこう言った。 クロアチア人の妻の、ナンシーの兄から来た何年も前の手紙を開けたことから、 「私はこれを最後として、世に回心を呼びかけるために来ました。」 私はそれが、聖母が私に話しかけているものだと感じた。 私の心は溶けた。 薬物に手を染め16歳で退学処分をしていた息子は回心し、洗礼を受けた。 私は聖母マリアを愛している。 |
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1995年春、ヴィクトルは妻と一緒にメジュゴリエへ行くことを望んではいなかった。 4日間の滞在が終わり、妻のシャーリーは、旅行中ヴィクトルが平静にしていることを不思議に思っていた。 フランスに戻ったヴィクトルは、結婚し家庭を持ち、嫁いでいった子供たち4人に話すことがあると電話をかけ始めた。 家族が集まり、ヴィクトルが妻に話し始めた。 驚いたことにそれは地上から1メートルほどまで近づいて、私の目の前で止まった。 涙ながらに話すヴィクトルに、家族の者も涙を止めることはできなかった。 「メジュゴリエの証言者たち シスターエマヌエル著 ドン・ボスコ社 」より抜粋 |
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2005年9月25日のメッセージより |
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1981年6月24日夕方、ボスニアヘルツェゴビナのメジュゴリエにマリアが降臨しました。 一日目は幼子イエスを抱えた姿で、二日目は光の輝きとともに、雲の上に乗った立ち姿で出現しました。 若きマリアの写真は、幻視した子供たちの証言を聞いて作った「メジュゴリエのマリア」です。 |
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1917年5月13日、ポルトガルのファティマで三人の子供たちの前に出現したマリアは、 5回目の出現は3万人の前で行われました。 ルシアとの会話が始まり15分後「お帰りです。」とルシアが言うと、銀白色の卵形物体が出現し、 「UFOはこうして飛んでいる!」コンノケンイチ著 より抜粋 |
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