甲府の大菩薩峠と嶺(2057m)に登り、帰路、栖雲寺・景徳院という
武田家由来の寺院に寄ってお参りしてきました。
「昔清き聖(行基菩薩)が、この嶺の頂に立って、
東に落ちる水も清かれ・・西に落ちる水も清かれと祈って、
菩薩の像を埋めておいた。」
中里介山の大菩薩峠の小説はこの文で始まります。 大菩薩の名称は甲斐・源氏武田家の祖:新羅三郎義光が神部岩に向かい
「南無八幡・大菩薩」と祈願したからだとも言うのです。
また神部神社の十一面観音像が祀られていたからだとも言います。
 大菩薩峠と大菩薩嶺の間にある、神部岩と雷(神成)岩の名前は、
日本武尊が東征の折、一夜仮泊した言い伝えによるとされるのです。
大菩薩峠は、100年前まで奥多摩・青梅を経由して甲府と江戸とを結ぶ
「青梅街道」の最大の難所でした。
甲州街道は、表の道で、この大菩薩峠を通る道は、足抜けした遊女や、凶状持ちなど、
手形を持っていないものも抜けられたとされる。
裏道によって救われる、やさしい時代だったのかもしれません。
「上求菩薩、下化衆生」の書いてある介山供養塔は山の稜線に立っていて、
富士山が美しく輝いていました。
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